ロボットは泣かない

探しものはいつもいつも見つからない。

何年も逃げられない感情がある

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今に始まったことではないけど、突然どうしようもない虚無感に襲われる時があります。

指先が徐々に腐って落ちていくような、なんとも言い難い痛みというか。そんなようなものが私を包んだとき、いつも過去の自分を思い出します。

世の中の理不尽、生きていることへの絶望を感じながらも綺麗なものを信じてた昔の私を。

大人になれば見える世界は変わるって思っていました。矛盾しますが、本当は変わらないんじゃないかとも考えていました。
そして年を重ねるごとにその確信はだんだんと形を成していき25歳になる今、はっきりわかりました。変わることはないんだって。

 

 

見える世界は変わらない

生きるのがつらい。正しいことが支持されないのはどうして?などと考え始めたのは小学5年生の頃だったと思います。

周りが自分のことしか考えない子供ばっかりで、間違ってることを平気で主張し、時に他人を巻き込むことが許せなかった。

だけど無理やり仕方のないことだと納得しようとしていました。

私が一足先に大人になってしまっただけ。皆も大人になればこんな思いしなくなる、そう信じて疑っていませんでした。

大人になればこんな鬱屈した気持ちはなくなるんだと思っていました。

大変なことはあるかもしれないけど、大人になればイジメや差別がない世界に行けると思ってました。

 

 

でも、そうじゃなかった。

子どものときに見てた世界よりもきつく苦しい世界が待ってるだけでした。思惑や欲望に突き動かされるのは子どもだけじゃなかった。

知恵をつけた分、大人の方がよほど苛酷な状態を強いられることもある。

結局、大人になっても見える世界は昔のまま。

 

 

なら私が変わるしかないと思った

大人になれば変わると信じていました。

だけど、大人になるまでの数年間を今のままで生きていくにはつらすぎる。そこで私は自分を変えようと努力をしました。それは第三者から見れば馬鹿げた努力かもしれません。

努力することが大嫌いな私がなぜ努力をしたのか

それは正しいことを主張してもそれが通らないのが今の世界で、いい加減なことを平気でしてる何も考えてないバカの方が生きてて楽しそうだとわかったから。

また、真面目に生きれたら報われるとは言うけれど、いつもらえるともわからない褒美に期待はできない。目に見えないものを信じるほど、人間は余分なものに飢えてないことにもわかっていたから。

 

努力した結果はどうだったか

両親には「残念な仕上がりになった。」と冗談交じりに言われています。あ、それに関しては何とも思ってないですよ?

父は私の全盛期は小学校までだったと言うけれど、それはそうですよ。正しく生きていこうとすることを私がやめたから。

大人になれば変わると信じていたと言いつつも実際には変わらないことを中学に上がるまでにはぼんやりと気づいてたから、中学に入ってからは人に迷惑はかけないが自分のワガママを通すことにしたんです。そして同時に適当に物事を流すようになりました。

そうして数年も経てば、自分の興味のないことには見向きもしない、人の気持ちを極力考えない、正論振りかざす人間への嫌悪を持った、私が嫌いな人間性に変わっていました。

私の『演じていればいつか本当になる』というポリシーは体験に基づいたものです。

ただ、自分が変わっても虚しさを完全に取り除くことは現在も出来ていません。

 

 

自分が悪と捉えるものへの憎悪

ちょっと話が逸れます。私は喜怒哀楽が激しいです。

数ヶ月前にパワハラで訴えられた豊田議員、ニュースで取り上げられて子どもが可哀想だな〜と母が言ってました。

仮にパワハラが真実だとしましょう。真実であれば、私は一切可哀想なんて思いません。そんな感想を言う母にバカなんじゃないかとしか思いませんでした。

その可哀想な状態になってしまったのは想像力が足りなかったからでしょう。自分がこういう行動を起こしたらその先に何が起こって周囲にどういう影響が起きるのか、と考えられなかった結果なんですから。

人間は社会性を持つ生き物だと言うなら、家族に迷惑をかけない行動を取るでしょう。例えば、死ぬほど嫌いな人を手にかけたいと思っても、それをしたら家族は犯罪者の身内と白い目で見られるだろうから衝動を抑えよう、別の発散方法を見つけよう、などという理性が働くはず。

また、イジメにしてもその範疇を超えることにしていたなら法で裁かれるべきだし、平然と生き続けることは絶対に許したくない。

集団で暴行をしたり蜂の死骸を食べさせたなら同じことをされて然るべきだと、もしくは加害者の家族を同様の目に合わせることに何の抵抗もありません。

命を奪ったなら同じ命で償うべきだと思います。

自分がイジメにあったわけでもないのに何故こんなに怒りを覚えるのか、イジメの加害者を憎むのかはわかりません。

自分に関係のないことで怒ったり悲しんだりすることは疲れるものですね。

 

 

今の自分になって後悔はありません

例のごとく、思ったままを書き殴って収拾がつかなくなってしまいました。

一つわかることは、小学生のときのまま生きていたら、今よりも遥かに生きにくさを感じていて完全なうつ病になっててもおかしくない、そう思うくらいに小学生の私は綺麗でした。

綺麗なものを信じ切ってきて、それが裏切られたら勝手に涙が出るほど悲しくて、でもそれを誰に責めることもできなくて。

今の私はニートで夢も希望も愛情も、全て生きる上で必要のないものだと捉えています。あれば人生のスパイスになるだろう程度には考えていますが、心を焦がして欲するものではありません。

こんな状態ですが、自分がいまこうなったことを少しも後悔していません。なるべくしてなった状況だから。

ただ悲しいだけです。ごめんなさい、まとまらないけど吐き出したかったんです。