ロボットは泣かない

ほやほやニートです。あっちにふらふらこっちにふらふら。

名前のない感情

今回の休みも結局、一歩も外に出ることなく終わってしまいました。これで3回連続です。今の店舗に配属されてからそろそろ一年が経ちますが、こっちに来てから遊びに行くことがかなり少なくなりました。友達がいないっていうことは一切関係ないです。いつも一人なので←

 

美術館も行かないしヒトカラも行ってない。映画も今年のコナン(最高)しか見に行ってない。

映画は間違いなく最高だったけど私の精神状態がよくないから興奮が長く続かなかった。去年なんか3回は見に行ったのに…!好きなものも心から楽しめなくなったら、本当に何が楽しくて生きてるのかわからなくなる。生きてたくない、としか思えない。だけど来年は安室さんがメインの話らしいから生きます。《幸せ》とまでは思えなくていいから、好きなものを素直に楽しめる状態になりたいなーと思います。

 

私は大学時代に12キロのダイエットに成功しました。それがきっかけで無駄な贅肉だけでなく、部屋もすっきりさせたいなと思って断捨離とか掃除とかにも力を入れるようになりました(精神状態により時々サボる)。

イライラしたときはモノを捨てるとすっきりします。そんな中で《楽しむ心》も捨ててしまったのでしょうか。そんな安っぽい言葉で思いを語ろうとする自分が恥ずかしい。もっと語彙力増やしたい、切実に。 

代わりにと言ってはなんですが、谷川俊太郎の詩集の中から今日の気持ちに近いものがあったので載せます。

 

 

闇の中で

記憶だけが私に残される時

暗い花々にかこまれて

私は思い出に捧げられた墓石のようだ

 

かつてあんなにいきいきと動き廻っていたものが

いまは頑な古さの中に閉じこめられている

僅かな言葉で云い尽くされ

もはや触れることの出来ぬ不確かさで

 

何気なく生き捨てたかずかずの小さなことが

どんなに貴いことだったか……

もう誰も憶えていない

 

陽が今日をむごい明るさに照らし出す

しかし記憶はもはや覚めない薄明だ

罪のようにそれは帰るところがない

 

 

谷川俊太郎『62のソネット+36』より引用

 

 

 

文学とか音楽、美術とかは、好きに感想を持っていいものだと私は思っています。数学みたいに答えは一つじゃないから。「あーなんか好き。なんとなく共感できる!」とか「絶望の中だからこその解釈なのかな?根底にあった出来事はなんだろう?」とか、自分の感じたことをそのまま肯定したい。

文豪や芸術家って人より感受性が強くて、人間の本質を真摯に見つめ続けてしまう人が多いと思います。だから自死する人も多い。表現することに命懸けで、執念や情念を込めてるから人の心を惹きつけるのかな。

少なくとも私は自分の気持ちに近い表現を見つけたとき、痒い所に手が届く感じというか、自分の気持ちを代弁してもらった、という感じがしてます。

 

 

 

割と本気でなに言ってんだって話なんですが長々書いたのでそのままアップします。笑

さー明日からまた仕事だ_(:3 」∠)_