ロボットは泣かない

探しものはいつもいつも見つからない。

痛みのない場所

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今日もお疲れさまでした。仕事が暇すぎて時々サボってブログ巡りしたりとある意味充実した一日に(´∀`)

皆さんのブログを読ませていただいて、「あーすごいわかる!」、「その発想はなかった。」、「意識高いな〜。」などなど、たくさんの感想を持ちました。

共感するばかりでなくても、顔が見えないからこそ素直にその考えを受け入れることができることが不思議だなー。そうだよね、そういう考え方もあるよねと寄り添えるというか!上手く言えないけど、変なフィルターを通して人を見るということが無いからですかね?

 

 

綺麗事ばっか言わないで

現実の生活は、複雑な人間関係が円滑にいくようにと他者からの目線を気にして言動をしてしまう方、たくさんいると思います。それが自然とできる人も、自分を必死に殺さないとできない人もいます。

でも、それが人間社会で生きていくということだと思うから、だからみんな必死に頑張ってる。だってリアルでは絶対に比べられるから。絶対評価をしてるつもりでも自然と基準を作ってしまい、それ以上かそれ以下と振り分けられる。

 

仕事での評価でもそう。

「これまでは出来てたのに、どうして出来なくなったのか。」と過去の自分と比べられる。

誰かへ相談してももう。

個人の状況、素質を無視してのアドバイスなんて何の意味もない。「みんな辛い思いして頑張ってるんだからあなたも頑張れ。」と無責任な激励を送られる。

 

同じ言葉をかけても、響く人響かない人がいる。その違いはその人が欲しい言葉か否かという点につきると思います。

 

 

人に答えを求めない

私はいつからか人に相談ということをしなくなりました。意見を求める振りをしながら、自分を肯定してほしい、背中を押してほしいという自分の中の打算に気がついたからです。欲しい言葉でなければ、気持ちが満たされない。中には見当違いのアドバイスをドヤ顔で披露する人もいる。

それなら相談をする意味ってないんじゃないの…?

そう考えるようになってから、 自分の感情を消費するための捌け口として他人に話すということはあっても、真にアドバイスを求めて話すということはなくなりました。要はうまーく他人をゴミ箱にしてたんですよね。

きっと私はこれからもそうして生きていくんだと思います。自分が生きやすいように。でも今はこのブログがあるから少しはマシになれそうです。

  

何が言いたいのか自分でもさっぱりわからなくなりましたが、私を含め、皆さんの自分の思いを綴るブログという場所を大事にしていきたいなと思います。

思ったことを書き殴ってるだけなので支離滅裂な文章ですが、それも良きかな。